生まれてからの環境下の影響によるものなのか、頭の思考回路がどうしても二元論的になりがちな気がする。
正解か不正解か
善か悪か
好きか嫌いか
強いか弱いか
大きいか小さいか
速いか遅いか
本当か嘘か
有益か無益か
などなど・・・
この対極にある二つの物事を、いつのまにか判断基準にしていたりする。
これってちょっと危険だなぁと思うようになった。
今でも気付けばこの思考をしている自分もいる。
「光と闇」という言葉もそう。
なんとなく闇=悪=嫌い=ダメなこと
みたいな思考回路に陥りがちだけど
これって本当にそうなのかな、という視点をなるべく持つように心がけてる。
もちろん、とてもじゃないけど「自分にとって」許すことができない悪はたくさんある。
その感情的部分とは別の思考を働かせて、この悪は全体の流れの中でどのような意味があったのか、というところまで考えたいなと思うようになった。
この世界は精神世界も含めて二元論で語れるほど、簡単な問題ではないし、
対極の2つの概念なんだから、その間があって当たり前なんだと思う。
「光と闇」も「善と悪」も、お互いがあるから存在できるわけで、
どっちかを否定したら、そもそもその言葉すら存在しないってことだなぁと。
よく言われるわかりやすい例では、光が強いほど闇は濃いし、闇は濃いほど光も強いってこと。
陰と陽は対極だけど、となりあってて、1つなんだと思う。
立場や見る側面が違えば、正解も変わる。
悪という概念があるから善という概念がある。
嫌いなものはいつでも好きに変わる可能性があるし、
弱いものはもっと弱いものから見れば強いものに変わる。
全体を俯瞰して、統合して見ることで、その二元論的な思考に振り回されず、
「中庸」でいられるような気がしてます。そうでないと、すぐに「そうでないもの」を批判しそうになってしまう。排他的な考え方に陥ってしまう。これは精神衛生上、あんまり好ましくない(僕にとって)
どっちも必要、どっちかである必要はなく、真ん中でいいし、そもそもその概念に縛られる必要はないんだなぁと思うようにしてます。
こうでなければならない、こうあらねばならないっていうのも、きっと二元論的思考の延長なんだろうと思う。
でもね、、、
完全にこの思考になるのは難しい。
だって今までそういう風に生きてきたから。
↑の完全にっていう言葉も、たぶんその思考から出てきてる(笑)
まぁ、難しいと思いつつ、そうあらねばならぬわけではないので、
ふとしたときに気付いて、考えをあらためて「世界っておもしろい、言葉っておもしろい」とハニカムくらいがちょうどいいです。
正直今の日本を動かしている方々の政策にはうんざりすることもあるけども、
それがあるから、気付くこともたくさんあって、、、
存在してくれるからわかることがあるなぁと、その存在を認めて納得している自分もいるわけです。
もちろん、もっと世の中が良くなってほしいとは思ってますが、その過程で必要な存在だと思っています。
ほどほどに中庸であること。
でも好きなことと楽しいことにはまっしぐら。
他を気にして批判するよりも、自分を喜ばせて世界を明るくして、それが周りに影響する方がいい。
そんな自分でいたいなぁと思います。
(できてるわけじゃないです 笑)
二元論的思考を手放して、多元論的な考え方がよさげな感じで言ってますが、
最終的にはこの世は自分を通してしか見られないので、ある意味一元論的なのではないかと思ったり思わなかったり。
この世はおもしろいですね~。
おつかれさまです^^
凌大
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