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そらなりののんびりライフと音の旅 〜昭和曲大好き少年さんより〜

8月25日放送の「そらなりののんびりライフと音の旅」でワインのお話を少ししました。
そうしたら、リスナーの「昭和曲大好き少年」さんが、ワインについてのメッセージをくださいました。
番組内では紹介し切れなかったので、こちらに掲載しますね(^^)
ワインの歴史にご興味ある方はぜひ♪
「昭和曲大好き少年」さん、ありがとうございました。
 
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ワインの始まりは、ワインはブドウ果実を原料に造られているもの。ワインの歴史は、ブドウの歴史でもあると言われています。
その歴史の始まりは、一説には紀元前8000年ごろともいわれています。
このころには、コーカサス山脈(現在のジョージアのあたり)でワインがすでに飲まれていたと考えられています。
紀元前8000年といえば、世界中でまだ石器が一般的に使われていた時代。
日本の歴史でいえば縄文時代です。そんな昔からワインが存在していたなんて驚きですね!
文献上でワインの醸造が初めて登場するのは、紀元前5000年ごろのことです。

このころに起こった出来事をシュメール人が書き綴ったメソポタミア文明最古の文学作品である「ギルガメッシュ叙事詩」に、
洪水対策の一環である船の建造に携わった労働者にワインが振る舞われたと記されています。

また、紀元前5000年ごろのものと思われる遺跡から、ワイン造りで必要な果汁を絞るための道具だと考えられる石臼が発見されました。

これは、紀元前5000年ごろにはワインの醸造が始まっていたと考えられる要因の1つです。さらに、ワインの原料となるブドウを
育てるためのブドウ畑があった痕跡も残っています。

また、メソポタミアにほど近いエジプトでも、壁画などにワインを造るための道具が描かれていたことから、紀元前4000年代に
インが造られていたと考えられています。

この時代にはビールの醸造も始まっていましたが、ワインはビールと比べて高級品だったようです。

ワインはどうやって広がっていった?
メソポタミア、そしてエジプトで造られ始めたワインですが、紀元前1500年ごろにギリシャに伝わったと言われています。

ただ、紀元前3000年にはクレタ島やサントリー二島でワインが取引されていた証拠も見つかっているので、もっと歴史は古い
かもしれません。

ギリシャ神話によれば、ワインをギリシャにもたらしたのは酒神ディオニソス(バッカス)ですが、実際には現在のレバノン周辺に
んでいたフェニキア人という民族によって伝えられました。

フェニキア人によって伝えられたワインは、ギリシャ人によって盛んに造られるようになりました。

そして、紀元前1100年ごろには、ギリシャは有数のワイン輸出国となったのです。

また、古代ギリシャでは、ワインは飲用だけでなく、薬としても利用されていたとされています。

古代ギリシャの医師で、医学の父とも呼ばれるヒポクラテスは、ワインについて解熱作用や利尿作用、
疲労回復などの効果があると書き記しています。

このことからも、古代ギリシャにおけるワインの役割は、飲んで楽しむためのものだけではなかったことがうかがえますね。

さて、メソポタミアでワインが造られ始めてからギリシャに伝わるまでの歴史を、年表で簡単に確認してみましょう。
人類初の文明であるエジプト文明やメソポタミア文明ではワインが造られており、その後発展するギリシャへと伝わります。

また、世界で2番目に古い法典であるハンムラビ法典でも、酒癖の悪い人への規制としてワインが記されています。

このように、ワインの歴史は人類の歴史とも深いつながりがあるのですね!

ワインがヨーロッパに伝わるとき
ワインといえば、ヨーロッパを思い浮かべる人も多いでしょう。フランスやイタリア、スペインなどは、ワイン生産国として有名ですよね。
では、これらの国々でワインが造られるようになった経緯をたどってみましょう!

紀元前600年頃、ギリシャ人の一部が南フランス・マルセイユ地方に移り住んできました。

このときに一緒に伝わってきたものの1つがワインづくりだったのです。

そして、この地に伝わったワインづくりは、そのころ勢力を強めていたローマ人の手によってヨーロッパ全土に広げられます。

特にローマ帝国の英雄、ジュリアス・シーザーのローマ軍侵攻は、フランス各地にワインづくりを普及させることになったでき事と
ても有名です。

そして、2~3世紀ごろには、現在でも有数のワイン生産地である「ブルゴーニュ」「ボルドー」「シャンパーニュ」などに
ブドウ栽培が伝わっています。

古代フランスでは、すでにブドウ栽培からワイン醸造に適した環境が整っていたのですね。

さらに時が流れて西暦1000年ごろの中世ヨーロッパでは、ワインは単なるお酒ではなくなります。

中世ヨーロッパの歴史はキリスト教が中心。政治にも必ずキリスト教が関係してきますし、人々の生活にもキリスト教は
深く関わっています。

ワインも例外ではありません。ワインは「キリストの血」とされ、神聖で貴重なものとされてきたのです。

当時の教会や修道院は、学校や研究所といった役割も果たしていたため、ブドウ畑を開墾したりワイン醸造の技術を高めたりと、
ワイン造りに注力しました。

このような動きもあり、17世紀頃には、現在のワインの販売形態に近い「ビン詰め・コルク栓」のワインが登場するようになり、
ワイン造りが発展したのです。

フランスを中心として発展したヨーロッパのワイン造りは、16世紀になると世界中に広がりました。

いわゆる大航海時代です。ブドウは地域性が強く出るので、産地によってさまざまな味のワインができ上がります。

現在の世界各国の多種多様なワインは、この大航海時代あってこそのものなのですね。

【番外編】日本のワインの歴史とは
世界におけるワインの歴史を見てきましたが、ここで日本におけるワインの歴史ものぞいてみましょう。

日本におけるブドウの歴史は古く、奈良時代までさかのぼります。奈良時代に編纂された「古事記」「日本書紀」にはブドウと
思われる記述があり、ブドウがモチーフとなっている絵柄も存在するため、奈良時代には「ブドウ」が認識されていたと考えられています。

しかし、原料はあったものの、古代日本ではワインが誕生することはありませんでした。

なぜなら、日本酒などのお米からお酒を造る文化が先に成立していたからです。ワインが日本史上に登場するのは室町時代後期のこと。

スペインやポルトガルからワインが伝わってきたとされています。

さらに、1549年に鹿児島を訪れたイエズス会の宣教師フランシスコ・ザビエルは、キリスト教を布教したい土地の大名にワインを
献上することで、布教の許しを得ようとしました。

このことをきっかけとして、各地の大名にもワインの存在が知れることになったのです。

ポルトガルやオランダとの交易によって、少しずつ日本にも浸透してきたワインですが、庶民にはそれほど広がらず、
国内で醸造するまでにはいたりませんでした。

江戸幕府が倒れ、武士の時代が終わると、明治政府は鎖国政策を解き、開国への道に進みます。

しかし約270年もの間、他国との交流を制限してきた日本。欧米列強と肩を並べるためには、早急に国を近代化し、
遅れを取り戻す必要がありました。

日本の近代化を進めるために、殖産興業政策を推し進めたのです。その一環として、ブドウ栽培やワイン醸造が
おこなわれるようになりました。

しかし、味の良さや保存性、製造技術といった壁が立ちはだかり、国産ブドウを原料とした「日本ワイン」はなかなか
成功しませんでした。

何人もの人が日本ワインを造ることを志しては諦めて……といった状態だったのです。

しかし、1927年の川上善兵衛によるブドウの品種改良(「マスカット・ベーリーA」の開発)を機に、日本ワインの動きは好転します。

日本の気候に適した「マスカット・ベーリーA」は、今でも日本ワインの原料として使用されているほどで、
日本ワインの歴史における偉業といっても過言ではないでしょう。

太平洋戦争に突入すると、日本政府はワインの生産をより一層奨励しました。敵国の文化の1つであり、
贅沢品でもあるワインなので意外に思えるかもしれませんね。

日本政府が推奨したのは、飲用のワインではありません。ワインを造るときに得られる酒石酸が、潜水艦などで使われるレーダーの
造に利用できるからだったのです。

戦争が終わり、もはや戦後ではなくなった1970年。大阪での日本万国博覧会を機に、日本人の食生活は欧米化が進み、
ワインの消費量も増えました。

そして、バブル期の「ボージョレ・ヌーボー」大流行を経て、現在の日本ではワインはごく身近なお酒となっています。

日本ワインも世界からも注目され、今まさに大きく発展しているのです。
日本は、まだまだこれからが楽しみなワインの生産国ですよ!