そらなり日記
·
2020/09/12
そらなりののんびりライフと音の旅 〜昭和曲大好き少年さんより〜
8月25日放送の「そらなりののんびりライフと音の旅」でワインのお話を少ししました。
そうしたら、リスナーの「昭和曲大好き少年」さんが、ワインについてのメッセージをくださいました。
番組内では紹介し切れなかったので、こちらに掲載しますね(^^)
ワインの歴史にご興味ある方はぜひ♪
「昭和曲大好き少年」さん、ありがとうございました。
**********************
ワインの始まりは、ワインはブドウ果実を原料に造られているもの 。ワインの歴史は、ブドウの歴史でもあると言われています。
このころには、コーカサス山脈(現在のジョージアのあたり)でワ
紀元前8000年といえば、世界中でまだ石器が一般的に使われて
日本の歴史でいえば縄文時代です。そんな昔からワインが存在して
文献上でワインの醸造が初めて登場するのは、紀元前5000年ご
このころに起こった出来事をシュメール人が書き綴ったメソポタミ
洪水対 策の一環である船の建造に携わった労働者にワインが振る舞われた と記されています。
また、紀元前5000年ごろのものと思われる遺跡から、ワイン造 りで必要な果汁を絞るための道具だと考えられる石臼が発見されま した。
これは、紀元前5000年ごろにはワインの醸造が始まっていたと 考えられる要因の1つです。さらに、ワインの原料となるブドウを
また、紀元前5000年ごろのものと思われる遺跡から、ワイン造
これは、紀元前5000年ごろにはワインの醸造が始まっていたと
また、メソポタミアにほど近いエジプトでも、壁画などにワインを
ワ インが造られていたと考えられています。
この時代にはビールの醸造も始まっていましたが、ワインはビール と比べて高級品だったようです。
ワインはどうやって広がっていった?
メソポタミア、そしてエジプトで造られ始めたワインですが、紀元 前1500年ごろにギリシャに伝わったと言われています。
ただ、紀元前3000年にはクレタ島やサントリー二島でワインが 取引されていた証拠も見つかっているので、もっと歴史は古い
この時代にはビールの醸造も始まっていましたが、ワインはビール
ワインはどうやって広がっていった?
メソポタミア、そしてエジプトで造られ始めたワインですが、紀元
ただ、紀元前3000年にはクレタ島やサントリー二島でワインが
かも しれません。
ギリシャ神話によれば、ワインをギリシャにもたらしたのは酒神デ ィオニソス(バッカス)ですが、実際には現在のレバノン周辺に
ギリシャ神話によれば、ワインをギリシャにもたらしたのは酒神デ
住 んでいたフェニキア人という民族によって伝えられました。
フェニキア人によって伝えられたワインは、ギリシャ人によって盛 んに造られるようになりました。
そして、紀元前1100年ごろには、ギリシャは有数のワイン輸出 国となったのです。
また、古代ギリシャでは、ワインは飲用だけでなく、薬としても利 用されていたとされています。
古代ギリシャの医師で、医学の父とも呼ばれるヒポクラテスは、ワ インについて解熱作用や利尿作用、
フェニキア人によって伝えられたワインは、ギリシャ人によって盛
そして、紀元前1100年ごろには、ギリシャは有数のワイン輸出
また、古代ギリシャでは、ワインは飲用だけでなく、薬としても利
古代ギリシャの医師で、医学の父とも呼ばれるヒポクラテスは、ワ
疲労回復などの効果があると書 き記しています。
このことからも、古代ギリシャにおけるワインの役割は、飲んで楽 しむためのものだけではなかったことがうかがえますね。
さて、メソポタミアでワインが造られ始めてからギリシャに伝わる までの歴史を、年表で簡単に確認してみましょう。
人類初の文明であるエジプト文明やメソポタミア文明ではワインが 造られており、その後発展するギリシャへと伝わります。
また、世界で2番目に古い法典であるハンムラビ法典でも、酒癖の 悪い人への規制としてワインが記されています。
このように、ワインの歴史は人類の歴史とも深いつながりがあるの ですね!
ワインがヨーロッパに伝わるとき
ワインといえば、ヨーロッパを思い浮かべる人も多いでしょう。フ ランスやイタリア、スペインなどは、ワイン生産国として有名ですよね。
では、これらの国々でワインが造られるようになった経緯をたどっ てみましょう!
紀元前600年頃、ギリシャ人の一部が南フランス・マルセイユ地 方に移り住んできました。
このときに一緒に伝わってきたものの1つがワインづくりだったの です。
そして、この地に伝わったワインづくりは、そのころ勢力を強めて いたローマ人の手によってヨーロッパ全土に広げられます。
特にローマ帝国の英雄、ジュリアス・シーザーのローマ軍侵攻は、 フランス各地にワインづくりを普及させることになったでき事と
このことからも、古代ギリシャにおけるワインの役割は、飲んで楽
さて、メソポタミアでワインが造られ始めてからギリシャに伝わる
人類初の文明であるエジプト文明やメソポタミア文明ではワインが
また、世界で2番目に古い法典であるハンムラビ法典でも、酒癖の
このように、ワインの歴史は人類の歴史とも深いつながりがあるの
ワインがヨーロッパに伝わるとき
ワインといえば、ヨーロッパを思い浮かべる人も多いでしょう。フ
では、これらの国々でワインが造られるようになった経緯をたどっ
紀元前600年頃、ギリシャ人の一部が南フランス・マルセイユ地
このときに一緒に伝わってきたものの1つがワインづくりだったの
そして、この地に伝わったワインづくりは、そのころ勢力を強めて
特にローマ帝国の英雄、ジュリアス・シーザーのローマ軍侵攻は、
し ても有名です。
そして、2~3世紀ごろには、現在でも有数のワイン生産地である 「ブルゴーニュ」「ボルドー」「シャンパーニュ」 などに
そして、2~3世紀ごろには、現在でも有数のワイン生産地である
ブドウ栽培が伝わっています。
古代フランスでは、すでにブドウ栽培からワイン醸造に適した環境 が整っていたのですね。
さらに時が流れて西暦1000年ごろの中世ヨーロッパでは、ワイ ンは単なるお酒ではなくなります。
中世ヨーロッパの歴史はキリスト教が中心。政治にも必ずキリスト 教が関係してきますし、人々の生活にもキリスト教は
古代フランスでは、すでにブドウ栽培からワイン醸造に適した環境
さらに時が流れて西暦1000年ごろの中世ヨーロッパでは、ワイ
中世ヨーロッパの歴史はキリスト教が中心。政治にも必ずキリスト
深く関わって います。
ワインも例外ではありません。ワインは「キリストの血」とされ、 神聖で貴重なものとされてきたのです。
当時の教会や修道院は、学校や研究所といった役割も果たしていた ため、ブドウ畑を開墾したりワイン醸造の技術を高めたりと、
ワインも例外ではありません。ワインは「キリストの血」とされ、
当時の教会や修道院は、学校や研究所といった役割も果たしていた
ワイ ン造りに注力しました。
このような動きもあり、17世紀頃には、現在のワインの販売形態 に近い「ビン詰め・コルク栓」のワインが登場するようになり、
このような動きもあり、17世紀頃には、現在のワインの販売形態
フランスを中心として発展したヨーロッパのワイン造りは、16世
いわゆる大航海時代です。ブドウは地域性が強く出るので、産地に
現在の世界各国の多種多様なワインは、この大航海時代あってこそ
【番外編】日本のワインの歴史とは
世界におけるワインの歴史を見てきましたが、ここで日本における
日本におけるブドウの歴史は古く、奈良時代までさかのぼります。
思われ る記述があり、ブドウがモチーフとなっている絵柄も存在するため 、奈良時代には「ブドウ」が認識されていたと考えられています。
しかし、原料はあったものの、古代日本ではワインが誕生すること はありませんでした。
なぜなら、日本酒などのお米からお酒を造る文化が先に成立してい たからです。 ワインが日本史上に登場するのは室町時代後期のこと。
スペインやポルトガルからワインが伝わってきたとされています。
さらに、1549年に鹿児島を訪れたイエズス会の宣教師フランシ スコ・ザビエルは、キリスト教を布教したい土地の大名にワインを
しかし、原料はあったものの、古代日本ではワインが誕生すること
なぜなら、日本酒などのお米からお酒を造る文化が先に成立してい
スペインやポルトガルからワインが伝わってきたとされています。
さらに、1549年に鹿児島を訪れたイエズス会の宣教師フランシ
このことをきっかけとして、各地の大名にもワインの存在が知れる
ポルトガルやオランダとの交易によって、少しずつ日本にも浸透し
国内で醸造する までにはいたりませんでした。
江戸幕府が倒れ、武士の時代が終わると、明治政府は鎖国政策を解 き、開国への道に進みます。
しかし約270年もの間、他国との交流を制限してきた日本。欧米 列強と肩を並べるためには、早急に国を近代化し、
江戸幕府が倒れ、武士の時代が終わると、明治政府は鎖国政策を解
しかし約270年もの間、他国との交流を制限してきた日本。欧米
遅れを取り戻す 必要がありました。
日本の近代化を進めるために、殖産興業政策を推し進めたのです。 その一環として、ブドウ栽培やワイン醸造が
日本の近代化を進めるために、殖産興業政策を推し進めたのです。
おこなわれるようにな りました。
しかし、味の良さや保存性、製造技術といった壁が立ちはだかり、 国産ブドウを原料とした「日本ワイン」はなかなか
しかし、味の良さや保存性、製造技術といった壁が立ちはだかり、
成功しませんで した。
何人もの人が日本ワインを造ることを志しては諦めて……といった 状態だったのです。
しかし、1927年の川上善兵衛によるブドウの品種改良(「マス カット・ベーリーA」の開発)を機に、日本ワインの動きは好転し ます。
日本の気候に適した「マスカット・ベーリーA」は、今でも日本ワ インの原料として使用されているほどで、
何人もの人が日本ワインを造ることを志しては諦めて……といった
しかし、1927年の川上善兵衛によるブドウの品種改良(「マス
日本の気候に適した「マスカット・ベーリーA」は、今でも日本ワ
日本ワインの歴史におけ る偉業といっても過言ではないでしょう。
太平洋戦争に突入すると、日本政府はワインの生産をより一層奨励 しました。敵国の文化の1つであり、
太平洋戦争に突入すると、日本政府はワインの生産をより一層奨励
贅沢品でもあるワインなので 意外に思えるかもしれませんね。
日本政府が推奨したのは、飲用のワインではありません。ワインを 造るときに得られる酒石酸が、潜水艦などで使われるレーダーの
日本政府が推奨したのは、飲用のワインではありません。ワインを
製 造に利用できるからだったのです。
戦争が終わり、もはや戦後ではなくなった1970年。大阪での日 本万国博覧会を機に、日本人の食生活は欧米化が進み、
戦争が終わり、もはや戦後ではなくなった1970年。大阪での日
ワインの消 費量も増えました。
そして、バブル期の「ボージョレ・ヌーボー」大流行を経て、現在 の日本ではワインはごく身近なお酒となっています。
日本ワインも世界からも注目され、今まさに大きく発展しているの です。
そして、バブル期の「ボージョレ・ヌーボー」大流行を経て、現在
日本ワインも世界からも注目され、今まさに大きく発展しているの
日本は、まだまだこれからが楽しみなワインの生産国ですよ!